おじさんとのお別れ...震災後の仙台へ

かねてより病気療養中だった伯父が亡くなった。
伯母(http://1173-oni-paddle.que.jp/blog/2010/01/post-203.html)の3回忌までは生きるんだといっていた。
今は、天国で再開を喜びあっているのかも知れない。

地元の親戚も皆一様に歳を取り、ここのところのお葬式には実働部隊で向わざる得ない状況が後押ししてくれた。震災後初めて訪れる仙台へ。。。

東北道は、福島県南部の白河へ入ると震災の爪痕が目に入る。
不自然にうねり、いくつもの段差を補修された道路。
走行中に見える風景には、屋根瓦にかけられたブルーシートが目立つ。
みちのくへ向う車には、まだまだたくさんの救済派遣車、救援物資車等々。

仙台南ICを降り、実家の近辺の様子を見るが、普段と変わりない。
33年前の1978年に起こった宮城県沖地震では、家屋やブロック塀の損傷が激しく、町並みもそれ相当のダメージがあっただけに、拍子抜けしたが、今回の震災が津波によるものである事を改めて思い知らされた。

震災直後に生存を確認する電話だけして、それから3日ほど音信普通。
震災地から遠く離れた場所で日々行うのはネットの情報を漁ることだけ。
徐々にインフラが立ち直り、メールによるやり取りが出来るようになり、両親二人だけで過ごす不便な生活の様子を伝えられ、でも、大丈夫と絵文字いっぱいで返信してくる母。
『二人で頑張ってるから大丈夫だよ』
この震災によって被った非日常の生活は少なからずとも両親にもダメージがあっただろうに。

そんなことを考えながら、実家に到着。
庭いじりしている父が見えてきた時には、安堵と涙が出ました。
母もニコニコと出迎えてくれ。
多くの被災者が居ることは承知しているけど...

神様ありがとうございます

そして、葬儀は粛々と執り行われ、同じく実働部隊で集まった従兄弟とも色々と話を聞いてきました。営業で職場を離れていたときに津波に襲われ、職場の同僚がいまだに行方不明であったり、電力関係の仕事で三陸を回る日々とその被害を目の当たりにして擦り切れた心が折れないようそれでも現地のために復興を急ぐ話など...

被災地以外の場所に住む人々の心の中では、震災は徐々に復興へその流れを変えて日々立ち直りつつある。と感じるのが普通だろう。

しかし、現地はまだ震災の状況であり、震災のあらゆる影響を抱えて生活している。

勿論ですが、今回の帰省では、津波の被害を直接的に受けた地域へは赴きませんでした。

被災された方々に直接的にお役に立つことが出来ないなら行っては行けない。

ただでさえ、あらゆる流通事情が悪い中、その流れを効率的に回すには、不要な人間がむやみに立ち入る段階ではないなと。自己満足程度のボランティアならもう少し後にしたほうが良いのかもしれません...悲しいけど。

僕にとって宮城、福島の沿岸部はとても大事な場所。

色々な思い出の詰まった場所。

一人でよく波乗りに通い、お世話になった民宿もあり、お世話になった方々の安否もとても気になるけど。

やはり、自分に出来ることをこつこつと行うことが今一番の被災地支援。

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地元のあらゆる場所で見た同様の看板やポスター。
バックアップを続けて行こうと思います。












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このページは、kojiが2011年5月28日 11:14に書いたブログ記事です。

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